Home ≫ 過去のトーク
木村和司さんの感性にココロ揺さぶられました!
ゲスト:木村和司氏
- 開催日
- 2009年10月10日(土)
- 場 所
- M-SPO(新宿駅から徒歩5分)
- ゲスト
- 木村和司氏(サッカー元日本代表)
第2回Jトークライブは、サッカー界の偉人、木村和司さんをゲストにお迎えいたしました。
先ずは、宮澤ミシェルから、
Jリーグが立ち上がる前の日本サッカーリーグ(JSL)の果してきた役割についての説明からスタート致しました。
世界のサッカーとの違いは、歴史に対する考え方の重みである。
一試合一試合の試合ばかりを追いかけていると薄っぺらい経験で終わる!
しかし過去を知り、過去をするリスペクトし、
何が現在に繋がっているかを知ることで経験は厚みを増し、成長してゆくものである。
本日のゲストの木村和司さんは1981年からJリーグの開幕2年間プレーしました。
日本サッカーリーグ28年間の内後半の12年間スーパースタートして君臨してきた木村和司さんからJリーグに至るまでの厳しい道のりと、その時間に流れた重要な見るべきポイントに迫ってゆきました。
先ずは、木村氏のサッカーへの出逢いと、実業団への道のりのココロの変化をお聞きしました。
そして、日本サッカーリーグへの思い、夢や希望について語っていただきました。
サッカーが世界に近づくためにプロ化の流れがやって来た1980年代後半に差し掛かり日本のサッカー選手の中で、始めて日産自動車の選手だった木村和司さんが国内での日本人初のプロサッカー選手となりました。
今のJリーガーの始まりはココに有りました。
また、技術面お話になると、木村さんの目が更に光り始めました。
サッカー選手個人が憧れるスーパースターの証である1年間のうちに最も活躍した優秀な選手に贈られる年間最優秀選手賞 通称フットボーラーオブザイヤーの話に進みました。この賞はトップ選手でも一度取れるか取れないか?
最高峰の賞でありラモス、カズが2度受賞しています。
中田、俊輔、中山でさえ1度しか取れなかったこの賞を木村和司さんは、なんと3度受賞し、釜本氏に続く歴代2位の記録を持っております。
フリーキックの魔術師と呼ばれ、86年W杯最終予選の韓国戦での25uのフリーキックは「伝説のフリーキック」と呼ばれ、今でもテレビで目を見張るフリーキック特集番組でも必ずと言って良い程取り上げられております。( YOU TUBEなどでも見れますから一度ご覧になってください。)
宮澤ミシェルも現役中何度も対戦していると有って、その試合を思い出すように木村和司さんとのトークに熱が入っておりました。
そして、どうしたらサッカーが上手に成るのか? そのなかでは「遊び」が大切・・・と話されていたことが印象的でした。
そして遊んで出来るぐらい練習をすること! 遊んでいても失敗すればくやしい!
くやしいから練習し負けない自分を作って行く好奇心が人一倍強かったことが伺えました。
今では考えられない、天皇杯6度の優勝・・・
マリノスに木村和司あり。
マリノスの背番号10といえば木村和司・・・
サッカー界の宝物
時代をつくり 未来に希望を与えてきた木村和司さんの凄さに感動しました。
現役のマリノスの選手にも聞かせてあげたかったです。
そして素晴らしいDNAはしっかりと受け継いで欲しいですね!
私達も、先人の経験を上手に活かす智恵を教わりました!
現在、木村和司さんは、子供たちや若い選手に向けてサッカー教室を開催していおります。
未来の子供を応援する素晴らしいか活動をされておられます。
今回のJトークライブ開催に向けて、 宮澤ミシェルに歌手の さだ まさし さんから花がプレゼントされました。 さだ まさし さんの所属する事務所の社長さんの佐田 繁理 さんは、以前プロサッカー選手だったのです。
さだまさしさん・佐田繁理さん 有難う御座いました。
トークライブ後のJパーティーも今回も楽しく盛り上がりました
宮澤ミシェルが皆さんのテーブルに周り、色々直接話す夢の素晴らしい機会となりました。15名の皆様に木村和司&宮澤ミシェルのサイン色紙が抽選でプレゼントされました。
そして1名様にプーマ製サイン入りサッカーボールがプレゼントされました。
Jトークライブは皆さんとも一体感が生まれ・・・楽しい時間を過ごす事ができました。
有難う御座いました!!
次回のJトークライブ、第3回は11月1日(日)となります。
ゲストはべガルタ仙台で復活を果たし人気選手である岩本輝雄さんをお迎えいたします。
今年最後のJトークライブと成りますので皆さん楽しみに遊びに来てください!
- 生年月日
- 1958年(昭和33年)7月19日
- 出身校
- 広島大河小→翠町中→広島県工→明治大学
- 選手歴
- 高校時代全国選手権大会ベスト4 ユース代表に選ばれる
大学3年の時、日本代表に選ばれる
「1981年」 日産自動車サッカー部入部(当時日本リーグ2部)
「1986年」 純国産第一号プロサッカープレーヤーとして契約
「1982年〜1992年」 日産自動車サッカー部
「1993年〜1995年」 横浜マリノス 13年間233試合出場 51得点61アシスト
木村和司 - サッカーヒストリー
チームタイトル | 日本リーグ優勝 2回 天皇杯優勝 6回 JSLカップ優勝 3回 アジアクラブ選手権優勝 |
---|---|
個人タイトル | 年間最優秀選手 3回 アシスト王 1回 ベストイレブン 5回 |
日本代表タイトル | AFCアジアカップ優勝(1992) キング・ファハド・カップ優勝(1995) |
現役引退後 | 国際Aマッチ 52試合出場 26得点 ロサンゼルス五輪予選、メキシコワールドカップ予選、特に1985年メキシコワールド カップ最終予選での25メートル直接フリーキックは、今も伝説として語 り継がれている。 その試合において、国際Aマッチ6試合連続ゴールを達成、釜本氏の5試合連続 ゴール記録を塗り替える。 |
1995年 | ミスターマリノスとして、多くのファンに親しまれてきたが、現役を引退 |
現在 | ■ NHKのサッカー解説をはじめ各局のコメンテーターとして活躍中 ■ サッカー普及活動としてサッカー教室で全国を廻っている。 ■ シュートサッカーアカデミーを主宰し、毎週行っているスクールにおいてコーチ達 (元サッカー選手)への指導もしている。(幼稚園、小中学生、高校〜大人) ■ S級ライセンス(日本サッカー協会公認)取得 ■ アディダスアドバイザリー ■ 元フットサル日本代表監督 ■ JFL 横河武蔵野FC スーパーバイザー(2007) その他の活動はShootホームページをご覧ください。 http://www.shoot.co.jp/ |