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言い訳しない強さと信念がありました。

ゲスト::岩本輝雄氏
- 開催日
- 2009年11月11日(日)
- 場 所
- M-SPO(新宿駅から徒歩5分)
- ゲスト
- 岩本輝雄氏

今年予定しておりましたJトークライブ最後の3回目となりました。
スペシャルゲストに、元ベルマーレ平塚・ベガルタ仙台などで大活躍しました元日本代表の岩本輝雄さんをお招きいたしました。
岩本輝雄さんと言えば、破天荒な個性が魅力的で、自分の左足を信じ常にその自信と共にチャレンジをしてきたプレーヤーです。
Jリーグの前進あるフジタ工業時代の入社1年目から、選手層の厚い先輩が多い中で、レギュラーを掴み、這い上がって行く姿は並みの新人の出来る技では無かったと当時フジタのスター選手だった宮澤ミシェルは振り返っていました。
岩本輝雄さんは、ベルマーレ平塚時代は大活躍するものの、京都パープルサンガ、川崎フロンターレ、ヴェルディ川崎の3つのチームを渡り歩き、納得の行かないまま新たなチャンスを求め新天地を探す苦難の日々を歩んでおりました。
そして、あるキッカケを基に、当時J2だったベガルタ仙台の清水監督と出会うことになり、半年契約の条件で入団することになりました。
そのことが、岩本輝雄さんにとって、大きな転換期と成りいつしかベガルタ仙台で無くてはならない選手と成り、仙台市民の夢のJ1昇格を果たす中心選手になって行ったのです。
かつてベルマーレで大活躍をして以来の大復活を果たし、そのことが仙台と岩本輝雄さんの絆を更に深め、仙台で大人気の選手と成ると共に、いまでは第二の故郷と本人が言うまでのなっておりました。
トークライブの中で、当時の映像を流し、数々のゴールシーン、ドリブルシーンアシストシーンなど本物のJリーガーのプレーを本人を目の前して見る映像は皆さんの目に焼き付いた事と思います。
スター選手になるJリーガーの中には色々なタイプの選手がいます。特別エリートコースを歩んできた選手で無かった岩本輝雄さんが、実業団で即レギュラーを取り、Jリーグ開幕以来スター選手の仲間入りをし、そのチームに甘えることなく次々と新天地を目指してきた個性的な上昇志向は、Jリーガーが多しと言えどもそう簡単にできることではありません。
なぜ、そのような稀に見る破天荒な行動力を身につけて来たのか?
少年時代の行動やい家庭環境などからその理由を解明して行きました。
その姿は、トップアスリートになるひとつの資質として他者を抜きに出る強さと信念がありました。誰にでもできる経験では有りませんが考え方としては、人が強く育つ要因として、参考になる事が多くありました。
また、岩本輝雄さんの海外にかける思いや、プライベートな話などザックバランな本音トークが炸裂し、笑いあり、エ〜と思う事実有りの魅力につつまれました。
そして、終了後のJパーティーではミシェルさんと輝さんからサイン色紙のプレゼントプーマの高級バッグ、輝さんのDVD映像・・・そして明後日11月3日のナビスコカップの決勝のペアチケットの特別プレゼントも宮澤ミシェルさんからありました。このチケットは発売20分で全席完売の入手困難なチケットでしかも特別席のサッカーファンにはたまらない豪華プレゼントと成りました。
最後の最後まで、ミシェルさんと輝さんと別れを惜しむように皆さんが話されていました。
こうした直接の触れ合いもJトークライブならではの大切な時間です。
また、来年、2010年のワールドカップを向けて、皆様と一体となって日本代表とスポーツを生活に取り入れるワクワク感と感動を共有して行きましょう!
皆様ご来場本当にありがとうございました。


- 生年月日
- 1972年5月2日
- 出身地
- 神奈川県横浜市
- 身 長
- 180cm
- 体 重
- 74kg
- 血液型
- B型
岩本輝雄 - サッカーヒストリー
1992年、当時JFL1部のフジタSC(=ベルマーレ平塚=現ベルマーレ湘南)に入団。Jリーグ2年目の1994年にJリーグに昇格。
超攻撃的な左サイドバックとしてチームを牽引し1994年天皇杯優勝に導く。
その活躍により同年日本代表にも選出される。
その後は怪我の影響などにより停滞した時期が続くが、2001年に移籍したベガルタ仙台で復活を果たす。
2004年、ベガルタ仙台のJ2降格に伴い名古屋グランパスエイトに移籍するも怪我の影響で同年退団。その後約2年間を怪我のリハビリに費やし、2006 年10月にニュージーランドのオークランドシティFCと契約を結び、12月に行われたFIFAクラブワールドカップのオセアニア地区代表として2試合に出場。
2009年ベガルタ仙台アンバサダー就任
シーズン | 所属 | リーグ | 出場試合 | 得点数 |
---|---|---|---|---|
1992年 | フジタSC | JFL | 14 | 2 |
1993年 | ベルマーレ平塚 | JFL | 15 | 4 |
1994年 | ベルマーレ平塚 | J1 | 43 | 10 |
1995年 | ベルマーレ平塚 | J1 | 19 | 2 |
1996年 | ベルマーレ平塚 | J1 | 29 | 5 |
1997年 | ベルマーレ平塚 | J1 | 33 | 6 |
1998年 | 京都パープルサンガ | J1 | 38 | 9 |
1999年 | 川崎フロンターレ | J2 | 13 | 5 |
2000年 | ヴェルディ川崎 | J1 | 11 | 0 |
2001年 | ベガルタ仙台 | J2 | 39 | 6 |
2002年 | ベガルタ仙台 | J1 | 30 | 4 |
2003年 | ベガルタ仙台 | J1 | 30 | 5 |
2004年 | 名古屋グランパスエイト | J1 | 6 | 0 |
2006年 | オークランドシティFC | NZ | 3 | 0 |
- | 日本代表 | - | 9 | 2 |