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テレビでは見れない前園真聖さんの素顔がありました!
今日、新たに前園真聖さんのファンが増えたことと思います!!

ゲスト::前園真聖氏
開催日
2010年2月17(水)
場 所
OVE 南青山
ゲスト
前園真聖氏

今年初めてのJトークライブにふさわしいスペシャルゲストに登場頂きました。
前園真聖さん、ストイックで野性味あふれるイメージを持たれた方が多かったようです。
しかし、現実は、人に使われたり、人をつかったりする能力にたけた、人から愛される素晴らしい選手であり、これからもタレントとしても芸能界、サッカー界の方々にも愛され活躍される人であること皆さんと共有しました。
宮澤ミシェル氏から冒頭、前園選手の活躍を横目で見ながら、海外での経験やチャレンジが
どのように影響を与えどのように変化してきたのか聞いてみたい!というところからスタートしました。

前園さん 子供の頃、マラドーナに憧れて、マラドーナの様な選手になりたいと強く思ったそうです。
こんなにひとりで、ドリブルが出来て凄いな〜
サッカーが更に好きになったそうです。
現在、前園さんはサッカー教室などで子供たちに教える時、サッカーが上手になりたかったら好きな選手の真似をすればいいと言う事が多いようです。
興味や憧れがる人が居ることが、やる気にスイッチを入れる大事なポイントだと教えてくれました。

鹿児島実業高校を卒業し横浜フリューゲルスに入団して1年目は試合に出れませんでした。
2年目にチームに3カ月の留学制度があり、マラドーナが育ったアルゼンチンを選択することになり、厳しい現実を目の当たりにする日々を送ることになったそうです。
当時Jリーグは人気絶頂期で金銭的にも恵まれていましたが、アルゼンチンでは日本より実力のある選手でも少ししかお金が貰いない状況だったそうです。
お金がどうこうというよりとにかくサッカーが上手くなりたいと燃えている状況で、なにか原点のようなものを感じたそうです。
学生時代のようにお金に関係なく、本当にサッカーに集中してやらないとまずいと感じたそうです。
堅実な一面はそんなことろから生まれて来たのですね!

1992年留学したアルゼンチンで一回りも2回りも大きくなって帰国し、初出場したヴェルディ戦で
10分間ピッチに立った経験が今でも忘れることのない本当にうれしい瞬間だったそうです。
それから一気にレギュラーとして台頭する躍進のきっかけになりました。

時代も前園さんを後押ししました。
1993年Jリーグ開幕、1995年アトランタ・オリンピック予選開幕、ファルカン監督の目に止まり日本代表に選出される。

Wカップアジア予選を突破して日本サッカー界として28年ぶりのオリンピック出場が決定しJリーグ開幕から4年目にサッカー人気が頂点を向え日本中の注目を集めることになって行きました。
アトランタ・オリンピックでは、優勝候補である、あのブラジルを破った「マイアミの奇蹟」を巻き起こし、全世界で大ニュースとなった。その立役者の、前園さんは日本代表のキャプテンとして、とてつもない勲章を日本に持って帰って来ました。日本国内のサッカー人気を更に押し上げ、メディアから桁違いな注目を集めることになりました。
人生が劇的に変わる瞬間を体験したのでした。

現在は、サッカーだけでなく個性的な選手が出にくい中、当時何度も対戦して来た宮澤ミシェル氏は当時の前園さんのプレーを振り返りました。
ドリブルでの突破力、攻撃に入った時の勢い前進力の強さを肌で感じてといいます。
その個性的なサッカースタイルに、やはり高い評価をしていました。

現在は、前園さんほどドリブルの上手い選手は居ない。・・・チームも個性より組織力に力が注がれています。
しかし、能力の選手はどこかこじんまり纏まってしまい、個性が出せない環境になっている。
世界に通用するサッカーを目指す為には、個の醍醐味もまた忘れてはいけないと語っていました。

前園さんは、オリンピックの翌年の1997年にスーパースター軍団、ヴェルディー川崎へJリーグ史上空前の移籍を致しました。
その後チャレンジとしてブラジルに渡り2つのチームを経験、一度日本に帰国し2つのチームでプレーします。
そして又海外を目指して伸び盛りの韓国リーグで2チーム経験するなど、国内4チーム、そして海外4チーム、計8チームでプロサッカー選手としての人生を歩んできました。

初めて、日本人が海外に行くと、まずパスを回してくれないと宮澤ミシェル氏は言います。
「自分は○○が出来るから、俺にボールを回してくれ!」とハッキリ主張しないと!
自分の能力を相手から聞いてくれる人は誰もいないので相手にされません。
まさに前園さんが初めてアルゼンチンで味わった仕打ちでした。
日本人には最も苦手な分野です。
しかし、世界と戦う使命を持った人間(選手)はそれを柔軟に受け入れなければなりません。
環境に対応してゆく事、海外で仕事した経験の有る方なら分かると思いますが、そう簡単な事ではありません。

マラドーナに憧れ、アルゼンチンに憧れ、ブラジルに魅了され、韓国にチャレンジし・・・
前園さんは、海外で本当に沢山のことを学んでいました。今回、世界の舞台で戦って来た生の臨場感と感動は本日来て頂いた皆さんの心にも伝わったことと思います。

そして、前園さんが一人の社会人として、誠実に人生を歩まれている姿に、グランド内での野獣のようなイメージでなく、一人の男としての強さと優しさを持ち合わせた姿に、大きなギャップを感じられた方も多かったのも事実でした。しかし本当の前園さんの今の素顔が今日の話すすがたの中にありました。

前園さんがワールドカップには出場したことが無いと聞き意外でしたが、昨年ラモス監督率いるビーチサッカーのワールドカップで見事3位に輝くなど、新たなチャレンジをしておりました。
体も、相当しながら、現役さながらのプレーも戻ったようでした。久しぶりに闘争心を表に出し勝利の達成感を味わって、とても充実した素晴らしい時間を過ごせたと振り返っておりました。

本日、ご参加の皆様がサッカー選手だった前園さん、だけでなく今現在の前園さんのファンになった人が多かった思います。
また最後に前園さんからのサイン色紙プレゼントもありました。
皆様の良い思い出になった事と思います。
最後の質問コーナーでも熱の入った質問の中で、プライベートの女性の好み問題まで丁寧に答えて頂きました。ありがとうございました。
今後の、前園真聖さんの益々のご活躍を祈念いたします。

生年月日
1973年10月29日
出身地
鹿児島県
オフィシャルHP
http://zono.net/
ペット
ミニ豚(セブン)
前園真聖 - サッカーヒストリー
1992年鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。 1994年にはアトランタオリンピックを目指すU-21日本代表に選出されると共に、ファルカン監督に見出されA代表にも選出。日本代表U-21主将として28年ぶりとなるオリンピック出場に貢献。そして1996年、アトランタオリンピック本大会では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などを演出し、サッカーファンのみならず、広く注目される事となる。
その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)、サントスFC・ゴイアスEC(ブラジル)、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ、安養LGチータース・仁川ユナイテッド(韓国)と渡り歩き、2005年5月19日に引退を表明。
2006年FIFAワールドカップドイツ大会、2008年北京オリンピックともに期間中は現地にて取材活動をし、サッカーだけではなく多岐にわたる競技を取材する。現在はサッカー解説者やメディア出演の他に、自身のZONOサッカースクール少年サッカーを主催し、普及活動をしているが、2009年ラモス監督率いるビーチサッカー日本代表に召集され現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのW杯において、チームのベスト8に貢献した。ペットはミニ豚。
シーズン 所属
1989年-1991年 鹿児島実業高等学校
1992年-1996年 横浜フリューゲルス
1997年 ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)
1998年 サントス(ブラジル:レンタル移籍)
1999年 ゴイアス(ブラジル:レンタル移籍)
2000年 湘南ベルマーレ
2001年-2002年 東京ヴェルディ1969
2003年 安養LGチーターズ(韓国)
2004年 仁川ユナイテッド(韓国)